以前、教え子のmixiから心が温まるお話を転載しましたが
今回は、そのお話の続きです。
この人は愛情を込めて「山田のじいさん」と呼ばれています。
一見無骨な人の心には、温かい泉のようなあふれる思いやりが
あるんだということを、この記事を通して感じていただければ
嬉しいです。
市井の人の心の交流です。
「山田のじいさん」は初耳という人は
↓こちらを読んでから記事をお読み下さい。↓
12月9日の日記です。
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以前記事にした、山田のじいさん
今日、機会あってご仏前に行くことができました。
隣の奥さんにじいさんのことを話したらやっぱり知らなかった
らしく、大変驚いており、一度お線香をあげさせて
いただきましょうという話に
隣の奥さんは家の前のどぶ掃除をじいさんがしてくれたとき、
おうちまでお礼に言ったらしく、山田のじいさんの奥さんとは
顔見知りだと言っていたので、連絡をとってくれました。
山田さんの奥さんには、じいさんが生前本当によくしてくれたこと、
地域の人たちのために一生懸命働いていて、その姿にいつも心を
打たれていたことを話し、感謝のきもちを、じいさんの写真の前で
手をあわせて言えました。 良かった。
奥さんは足が悪く、少し、疲れた様子だったけど、
「こんなにひとにおもわれてしあわせだったとおもう」と涙され、
わたしも泣けてきて仕方なかった。
お風呂でなくなったということで、第一発見者の奥さんは必死で
蘇生をほどこしたこと、それから、警察は自殺や強盗などの事件性を
まずかんがえてくるので、部屋は隅々まで調べられ、お通夜を迎える
までお別れの時間がとれなかったことがつらかったと話してた。
風呂でなくなったじいさんの体は温かく、顔はほんのりピンクで、
苦しい表情でもなく眠っていたようだったんだって。
人生の最期、冷たい機械ではなく、奥さんの温かい手で触れられて、
それはそれで幸せだったんだろうと、
もう、そう声をかけるしかなかった。
驚くことに、亡くなる直前のじいさんに挨拶されたのは
うちの旦那だけではなかったようだ。
「えっ!あの日じいさんはいつもとわからずおはようといっていたよ」
という人がたくさんいたみたい じいさんらしい。。
ちゃんとみんなに挨拶したんだな さすがだ、、
じいさんが死を予知していたとは思わないけど、きっと
「そういうふうにできている」んだとおもった。
自転車整理で得た少しのお金をためて奥さんに買ってあげた
薄型テレビも、ちょうど12月で支払いを済ませていたことをはじめ、
年越しにあたってしないといけないことは済ませて、、逝ったと。
お葬式は予想以上の弔問客で、息子たちは「かなわねえ・・・」
と言っていたそうだ。
相手がどうであれ、正しいことを、毅然とした態度で言えるじいさんは、
わずらわしいと思われることも多く、奥さんはいつもそんなじいさんに
「もうあんまりひとにああだこうだ言わないように」と言っていたみたい
だけど、あのじいさんから何かいいものを感じ取れるひとは
たくさんいたんだ。
じいさんがなくなってから、駅前の灰皿がしばらくごみだらけだった
みたいだけど、いつの間にかだれかがきれいにしているみたい。
山田のじいさんソウルは確実にたくさんのひとに受け継がれている。
世の中捨てたもんじゃない
私もきちんとせねば、そしてこどもたちに伝えていかなければ。
1時間半、山田さん宅でお茶を頂き、生前のじいさんのこと、
奥さんのこと話しながら、さみしいけど、温かい時間を過ごせた。
横にあるじいさんの写真が、これまたすごいいい笑顔で、きっと
じいさんもあの時間、あそこにいたにちがいない。
奥さんもじいさんもご苦労をされていて、奥さんは長崎で被爆を
したこと、肺がん、そして乳がんを患った経験があると言っていた。
でも苦労を苦労と思わず、自分ができるだけのことはやり、いつも
ちゃんと明るく、毅然として生きる姿は
「あのじいさんにしてこの奥さんあり」というかんじで
そりゃもう頭が上がらなかった。
奥さんは今年、75さいだそうだが、年金だけではとても食べて
いけないので、四十九日がおわったらまた仕事復帰するとのこと、
・・すごいなあ。
「くよくよしていないで動いていたほうがいいんだ」って言う
奥さんの笑顔がすばらしかった。
体だけはどうか大事にしていただきたい。
なにか助けが必要なときは絶対声をかけてくださいと深くお礼を
言って、玄関を出たとき、山田さんちはマンションの7階なんだけど、
うちの町内を含み、町全体が見渡せ、
遠くには養老山脈がきれいに光ってた。
じいさんいつも、ここから困ってる人をみつけてはとんでいったん
じゃないか・・やっぱり「アンパンマン」だよなあ(笑)
かなわない。
あと、じいさんの誕生日、私と一日違いだってことがわかった。
ちょっと嬉しい。
みずがめ座くさいと思った(笑)
山田のじいさんが亡くなって、うちの近所のおじいちゃん夫婦
(わあちゃんがなついている)が悲しんでいるということなので、
今度じいさんの話でもしよう
公園仲間なの かわいいんだよ、いつも灯油のトラックを待っている姿が
長々とみてくれてありがとうございました。
しばらく寂しい気持ちにもなったけど、今日なんだかじいさんと奥さんに
逆にはげまされちゃったので、ささやかでもきちんと、前向きに、
そして人に優しく、私がんばりたい~~ってな気分になれました。
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この子は、本当にいい子(もうお母さんです・・笑)なので
このような出会いと別れを体験できるのだと思います。
私たちの心の中に「山田のじいさん」がいてくれたら、きっと
恥ずかしくない日本人として、堂々と人生を生きていけると
思います。
彼の生き様には、そんな「大和魂」を感じました。
智恵ちゃん、すてきな人生を教えてくれて
本当にありがとう!!
山田のじいさん、天国できっと照れているね。
私たちもじいさんを見習って、お互いに頑張ろうね~~

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